鵜飼派鍛刀の地を訪ねる

 鵜飼派は、雲生・雲次・雲重といった刀工があり、鵜飼、宇甘、雲類などと呼ばれています。

備前国宇甘(現岡山市御津)に住んでいたといい、同じ備前でも長船とはかなりの距離があります。

また、長船や備中青江が山陽道沿いであるのに対し、宇甘は大きく外れた山側にある旧津山往来沿いにあります。

  現在でも、「雲生宅跡」として残っており、鉄滓が出土し、昔は井戸もあったそうです。

(雲上

雲生  乾元2年

雲生  文保

雲生  貞治

雲重  文和5年

                 応安5年

                 貞治4年

雲次  文保2年

      建武2年

雲次  応安2年

  

雲重  応永 

雲次  永徳2年

  

鵜飼派系図(仮

掌中古刀名鑑(安政3年)より

 JR金川駅から、県道31号線を高梁方面に向かい、宇甘川を渡る橋の手前右手に案内看板があります。

 看板に従って進むと、道沿い左手に数件家があり、その奥に実盛山が見えます。

 家の裏側は空き地?になっており、数本立ち木が植えてあります。そのうち1本だけ枯れている木があり、枯れ木の脇に小川へ下りるケモノ道があります。

 ケモノ道を下り、小川を渡った正面が、雲生宅跡です。

 場所が非常にわかりにくい上、道路と私有地の境界が不明なため、通り沿いのお宅へ失礼し、行き方を教えていただきました。

 

 場所を確認した際に、現地のご老人に伺った話では、現地では「雲生」よりも「雲重」の館として認識されている様です。

なぜ雲生でなく雲重なのか?については不明です。

「昔からあそこは雲重の家と言われている」ということでした。

 

 雲重というと時代は南北朝に入ります。後代雲重では至徳~応永くらいまでいるという説もあるので、この地で最後まで鍛刀していた鍛冶の名前が伝わっているのかもしれません。

 

 遺構について、現在は草木に覆い尽くされてしまっていますが、数十年前までは館跡の平坦な土地を利用して炭焼きが行われていたということです。また、刀剣の研究をしているという方が調査に来たりしていたようですが、今では訪れる人もいなくなってしまったとの事でした。

 

鵜飼派というと、備前では長船や一文字の陰に隠れてしまいがちではありますが、特定の刀工の館跡が残っているという点で非常に貴重です。

 

※川へ下りるケモノ道は、実際にイノシシが使用?しているそうなので、現地へ行く場合お気をつけ下さい。 また、時期によりスズメバチもいるので刺されない様ご注意ください。

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